[本のななめ読み]中島敦『名人伝』×阿部勤『中心のある家』
中島敦『名人伝』
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阿部勤『中心のある家』
〜形と真髄から建物とくらしを考える〜
趙の都、邯鄲に住む紀昌は、弓の名人を目指して修行をはじめます。さまざまな修行を経て、弓術の奥義「不射之射」の境地に達した紀昌はついに弓の存在すら忘れてしまいます。中島敦『名人伝』は、少年マンガのような軽快な展開と、漢文の読み下しのような語感・リズム感が心地よい短編です。
武道の多くには「形(カタ)」という稽古法があります。決まった基本の動きを何度も練習して体に覚えさせることで、実践での咄嗟の応用を可能にするのです。『名人伝』の主人公:紀昌は、徹底的な「形」の稽古のすえに弓術の真髄を得たのですが、真髄を得たがゆえにその手段としての弓を忘れてしまったのです。
建築家:阿部勤さんの自邸『中心のある家』にも、どこか「名人」の雰囲気があります。
設計図を見ると、建物の形(カタチ)は真四角で、とても簡潔で決まった形に見えるのですが、写真に写っているものや文章に書かれていることはくらしの風景ばかりです。まるで建物が忘れられたように、住まいの真髄としてのくらしがよく表れているこの家は、住まいづくりの「名人」阿部勤さんの真骨頂と言えるでしょう。
この絵本の見返し部分には「読者のみなさんへ」という短い文章が書かれています。「私の家は年を経るごとにすてきになってきました。」という一文から始まるこの文章は、くらしと住まいの『名人伝』として読むことができるでしょう。